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河野義行さん、サリン加害者と交流していた [小さなニュース]

河野さん宅で剪定作業 松本サリン 元受刑者男性(東京新聞)

 1994年の松本サリン事件でサリンの噴霧車を製造し、懲役10年の刑を受けた元オウム真理教幹部の男性が本紙の取材に応じた。「事件のことを考えると、深い後悔と反省の念が込み上げる」という男性は、2年前から、事件の第一通報者で被害者の河野義行さん(58)=長野県松本市=宅を訪れ、償いの気持ちで庭木の剪定(せんてい)作業を続けている。

 男性は、オウム真理教で「科学技術省次官」だった山口市の会社員藤永孝三さん(47)。河野さんの妻澄子さんが8月に亡くなり、「申し訳ない」との思いを強くし、初めて実名を明かしての取材に応じる気になった。

 藤永さんは、河野さんの妻を含め8人が亡くなった1994年6月の同事件で、上層部の指示で噴霧車を製造。殺人ほう助などの罪で懲役10年の刑を受け、2006年3月に刑期を終えた。

 3カ月後、「松本の事件に自分なりの献花をしたい。河野さんや他の被害者の方々に何かできることはないだろうか」と、知り合いの紹介で河野さん宅を訪れて謝罪した。深く頭を下げ、「申し訳ありませんでした」と一言。緊張でそれ以上、言葉が出なかった。

 河野さんは「10年の刑期を終えたんだから」と、意外にもあっさりと迎え入れてくれた。「何を言われても仕方ないという気持ちだった。会ってもらえたこと自体がうれしかった」と振り返る。

 以来、刑務所で身につけた造園の技術を生かし、河野さん宅のモミジなど庭木の剪定を買って出るようになった。山口市から月1回ほど通い、20回ぐらいになった。

 「噴霧車を造ったときは『ただごとではないな』と思ったが、上から言われたことをやらないと教義が成り立たなくなる」。当時はそう考えていた。だが、事件が起きると「やったのは教団では」と怖くなり、真相が明らかになるにつれ後悔の念に駆られた。裁判で拘置中、河野さんの著書で「家族の幸せだったときの様子や事件当時の状況を知り何とか謝罪しなければ」と思ったという。

 河野さんは今、藤永さんを友人の一人として付き合う。「加害者とか被害者という感じは僕の中ではない」と話し、こう言った。「加害者を憎んでも妻が戻ってくるわけではない。事件の教訓を、社会全体が生かしていけばいい」
(以上中日新聞より)

 
 松本サリン事件の被害者である河野義行さんの妻澄子さんは、今年の8月に亡くなられました。事件直後から意識がほとんどなく、寝たきりのまま14年の歳月が流れたことになります。

 河野さんが、澄子さんを愛を込めて世話されているようすは、テレビでも幾度となく報じられておりました。すべてを隠すことなくオープンにされたことに、澄子さんへの真の愛を感じて、感心させられました。

 河野さんは、サリン事件に関わった藤永さんが謝罪に訪れると、あっさりと受け入れました。「10年の刑期を終えたんだから」と。

 河野さんには、加害者に対する憎しみといった感情がないのだ思います。憎しみからは得るものは何もなく、かえってマイナスであることを分かっておられるのです。14年の歳月は、河野さんをそのようなことから超越した心境に導いたように推察するのです。

 藤永さんは、いま、河野さんの心遣いに感謝しながら、河野さんの庭の木を、一本、一本、心を込めて剪定しているのだと思います。

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yamagatn

ご訪問くださり頂きありがとうございます
本日から旅行のため、コメントは後日にさせて頂きます
師走の忙しい時期ではありますが、体調には
是非ともお気をつけてくださいませ☆
by yamagatn (2008-12-26 08:09) 

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