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上杉鷹山公の精神に触れるー4 [上杉鷹山]

(引用の続き開始)

五什組合

 鷹山の愛民の政治は以上にとどまらず、次々と多方面に展開された。その一つが「五什組合」の制度である。

 これは農民相互の扶助組織であり、近隣五軒を五人組として相互に助け合い、村全体が共同体として苦楽をともにするものであった。鷹山は「五什組合」について次のように定めた。

1.五人組は常にむつまじく交りて苦楽をともにすること、家族の如くなるべし。

1.十人組は時々親しく出入りして家事を聞くこと、親類の如くなるべし。

1.一村は互いに助け合い、互いに救い合いたのもしきこと、朋友の如くなるべし。

1.組合村は患難にあって助け、隣村よしみ甲斐あるべし。

 そして、老いて子なき者、幼にして父母なき者、夫婦のいずれかを失った者、病傷者で生活できない者、死者を出しても葬式を出せない貧しい者、火災にあった者等々、全ての苦しむ者に対し、五人組、十人組、一村が相互扶助することを定めたのであった。これまた鷹山の「民の父母」たる愛情から発した農村政策であり、決して農民への支配と統制を目的とする制度ではなかった。

 それ故に内村鑑三『代表的日本人』の中でこの五什組合のことを「多分の官僚主義は以上のどこにも存しない。それのみならず我々はかつて鷹山の米沢領以外、地球の他のいかなる部分に於ても、これに類したものの公布され、それの実行に移されたるを見たことなしと言明する」と述べているのである。

福祉政策の実践

 ほかにも鷹山は、老人や病人、妊婦などの弱者を重視する福祉政策の充実をはかり、それを実現させた。

 医者が余りにも少ない時代で、病気になっても医者にかかる事ができない者が多く、鷹山は藩内各地に官選の医師をおき、彼らに宅地を与えるとともに優遇した。これによりどれほど多くの人が助けられたかは言うまでもない。

 江戸時代にあってこの当時、悲しくも堕胎いわゆる間引は日常化していた。その要因は、結局子供を生んでも育てられない生活の貧しさにあった。鷹山は熟慮と協議を重ねた結果、種々やりくりし六千両の育児資金をつくり出し、子供を育てられない窮民にこれを与えることにした。こうして前後約三十年の努力を傾注した結果、遂に米沢藩において堕胎間引の根絶に成功するのである。実に容易ならざる事業であったが、鷹山の「誠と愛と知」を傾けた尽力がこれを成就せしめたのである。

 さらに当時、生活苦のため働けなくなった老人は、「口減らし」のためしばしば野山に捨てられた。鷹山はこの忌まわしき悪習の絶滅のため次なる方策を講じた。それは九十歳以上のものはなくなるまで食べてゆける今でいう年金を与え、七十歳以上のものは村で責任をもっていたわり世話することを決めた。それのみならず鷹山は、老人を大切にいたわる孝子を褒賞するとともに、自ら敬老を実践するのである。

 こうして鷹山自ら誠意の限りをつくした敬老養老の実践は、堕胎とともにこの悪習をも根絶せしめることに成功したのである。

 鷹山の半世紀にわたる粒々辛苦の尽力は遂に米沢藩を変貌せしめ、この地上の歴史の中に最も価値ある理想の国をつくり上げることに成功したのである。

 米沢藩再建は数十年を要した長く困難な道程であった。誰もが再建を不可能とした中にあって、鷹山は不退転の覚悟のもとに死力を尽くした。この努力の根底にあったものこそ、「民の父母」たる為政者としての深い自覚と責任であり、人々への限りない愛情と真心であった。鷹山の行った政治こそは、真に仁政の極致といってよかった。

 我々はここに為政者のあるべきすがたを見るのである。政治と政治家にとって最も大事なことを、五十有余年の不撓不屈の実践によって指し示した上杉鷹山こそは、わが国の生んだ古今不世出の哲人政治家であった。鷹山がかくの如き政治を達成し得たのは彼が何より人間として立派であったからにほかならず、鷹山のこの神のごとき人格は唯々生涯にわたる正しき人間の道を践まんとする、たゆまざる学問と修養によって生み出されたものである。

 文政五年、鷹山が七十二歳でなくなった時、藩内あげてその父母を失うがごとく、その悲嘆は言語に絶した。埋葬の当日、数万の人々があるいは老人を伴い、あるいは幼児をたずさえ、沿道に平伏してひつぎを拝み、欷歔(ききょ:すすり泣く)嗚咽、号泣の声は山野に満ちた。

(以上引用終わり)

 五什組合というのは、今の言葉で言えば、生活セーフティネットと言えるものだと思います。お互いが助け合う、互助の精神が徹底しています。全てを自己責任に帰するなどと対極の世界、ホームレスなどと無縁の世界であります。当時の米沢藩は、愛に満ちた理想郷であったのだと思います。

 これは夢、幻ではなく現実にあったことです。現代人も、米沢藩を手本にして、理想郷をめざなくてはいけないのではないかと思うのです。

   郷土のやまがた 「上杉鷹山の生涯」
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コメント 3

ぴーすけ君

どんどん世の中は自己責任の時代になってますね。
昔はそうじゃなかったってことは、日本人も
そういう風に戻れるのかも・・・。
by ぴーすけ君 (2009-01-17 14:54) 

ofil425

戦後導入された西洋の個人主義が行き過ぎた結果、互助の社会が壊されてしまったということですね。
互助社会を再構築する必要があるのだと思います。
by ofil425 (2009-01-17 18:33) 

やまがたん

希代の名君だった方なんですよね^^
山形の置賜の誇りなのであります

ご訪問ありがとうございます
応援ポチッとなのだ☆
by やまがたん (2009-01-18 00:34) 

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