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『中国市民、「集団散歩」で抗議行動』の記事に思うこと [国際ニュース]

 中国では、集会やデモ行進が厳しく規制されている。そんな中で、新しい抗議活動の形として「集団散歩」が注目されていると毎日新聞が伝えています。抗議の意思を共有する住民がインターネットや携帯電話で連絡を取り合い、同じ時間に集まって「平和的、理性的な散歩」で民意を伝える新たな運動なのだそうです。デモではありません、集団の散歩なのですというころがミソなのでしょうが、泣けてくるような話ですね。さすがの中国公安当局も、散歩を弾圧することはできないと見えて少しは成果を挙げているようです。

 先日テレビの報道で、農村から北京へ抗議の直訴に来ていた人々を公安当局が弾圧している様子が映っていました。また都市部の再開発では、住民を一方的に追い出しておいて、住民に対する保証もせず路頭に迷う人々が続出しているようですが、これら住民が、抗議するする自由さえ与えられていないのです。人民政府が、すさまじい人民の弾圧をしているというわけです。

 鄧小平氏は、「白い猫でも、黒い猫でもねずみをとる猫がよい猫だ」と言って、目先の豊かさだけを求め始めました。人民政府という建国の精神はないがしろになって、結果的に資本主義に魂を売ってしまったのではないでしょうか? ねずみを取れる猫は、黒い猫ばかりだったわけです。ねずみの取れない白い猫である純朴な人民は、
貧しいまま取り残されてしまったのです。その結果、黒い猫が白い猫を支配する、完璧な格差社会の国が出来上がってしまったのだと思います。

 中国の現状はこういうことになっているのではないでしょうか。豊かになった黒い猫は、保身ばかりはかりますので、白い猫をさらに犠牲にするようになります。。黒い猫になって、中国人民を裏切ってしまった中国共産党の官僚たちは、権力構造を維持することが自己目的化してしてしまったのです。 ですが、彼らにはすでに資本主義の毒素が蔓延してしまいましたので、これから苦しみもがく運命が待っているというところでしょうか?

 「他人の振り見て我振りなおせ」といいます、我々にとっても中国の現状は、他人事とは言えないのではないでしょうか。 中国共産党政権と自民党政権には、共通性があるように思えるのです。それは、一党支配が長く続いているということです。長期に権力を握っているものは、必ず権力構造を維持することが自己目的化します。権力に魂を売った者たちは、国民を裏切ってでも目的を達成しようとするでしょう。

 今、岩国の市長選挙で、自民党の権力維持を自己目的化したすさまじい運動が繰り広げられています。ついに住民側に立つ井原前市長は苦境に立たされているようです。自民党を中心とする権力構造は、すでに自らの生命維持のみを目的とした行動に走り始めました。我々は、気づいていないだけで事態は深刻なのかもしれません。

 民主主義などもろいものです。崩れ始めるとあっという間ではないでしょうか。今の中国の現状が、遠い将来の日本の姿であったということも可能性としてはゼロではないように思えます。つねに、「他人の振り見て、我が振りなおせ」の精神で中国情勢を見てゆく必要があるのではないでしょうか。


中国:「集団散歩」で抗議行動 集会・デモ規制くぐり抜け

 【上海・大谷麻由美】集会やデモ行進が厳しく制限されている中国で、新しい形の抗議活動として「集団散歩」が注目されている。抗議の意思を共有する住民がインターネットや携帯電話で連絡を取り合い、同じ時間に集まって「平和的、理性的な散歩」で民意を伝える新たな運動だ。これまで福建省アモイや上海で「散歩」が確認されている。

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