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長崎に響く、広島で被爆のピアノ [小さなニュース]

 広島に名もないピアノがありました。或る日突然原爆が炸裂し、放射能と爆風にさらされ、無数のガラスが突き刺さりました。それから60年たって、被爆したピアノがよみがえり、長崎でコンサートが開かれるというニュースが朝日新聞マイタウンに載っていました。

 ピアノを復活させたのは、調律師の矢川光則さんという方です。矢川さんは、これまで3台の被爆ピアノをよみがえらせていて、そのピアノを使って各地で平和コンサートを催してきたそうです。

  そんな矢川さんの「いずれはもう一つの被爆地の長崎の子どもたちにも聴いてもらいたい」というかねてからの念願が、今回の被爆ピアノの復活で実現することとなりました。場所は、長崎市の山里小学校です。このコンサートの最後に、山里小学校の第二校歌として歌い継がれてきた「あの子」という歌が児童たちの合唱とともに演奏されます。「あの子」という歌は、長崎で被爆しながらも被爆者救護に力を注いだ故・永井隆博士(1908~51年)という方が詞を書いておられます。児童1581人の内1300人が原爆で命を奪われた山里小学校の児童が、「あの子が生きていたならば」と歌うと、命の尊さ、平和の大切さが身に沁みてくるのではないかと想像します。

  永井隆博士という方は、よく知りませんでしたが調べてみますと、藤山一郎さんが歌っていた「長崎の鐘」の元になった本を書いた人のようです。永井博士は、長崎医大で放射線医学を研究されていて、放射線を浴びて白血病を発病してしまっていたのでした。その上に被爆したのですが、永井博士は自分のことなどかまわずに、被爆者を倒れるまで献身的に救護したということです。

  永井博士が病床に伏すと、住民が建ててくれた二畳ばかりの「如己堂」と後で名づけられた小屋に住むようになります。如己(にょこ)堂という名は、聖書の一節「己の如く人を愛せよ」という言葉に由来するそうです。このわずか二畳の部屋の中から博士は、「ロザリオの鎖」「この子を残して」「生命の河」「長崎の鐘」などの次々と名作を生み出し、浦上の人々をはげまし続けました。収入のほとんどは、まずしい子供たちや原爆症に苦しむ人々のために消えたということです。

  永井博士は、「己の如く人を愛せよ」を文字どおり実践され、人類の幸福と平和のため、心魂を傾け尽された方であったようです。浦上天主堂で行われた長崎市葬には、約2万人が参列したといわれています。

  今の時代に永井博士が生きたとしたらどのような生き方をされたのでしょうか? きっと「己の如く人を愛せよ」を実践され、我々に行くべき道を指し示してくれたのではないでしょうか。



あの子 


壁に残った 落書きの
幼い文字の あの子の名
呼んでひそかに 耳すます
あゝ あの子が生きていたならば

運動会の スピーカー
きこえる部屋に 出してみる
テープ切ったる ユニホーム
あゝ あの子が生きていたならば

ついに帰らぬ おもかげと
知ってはいても 夕やけの 
門に出てみる 葉鶏頭(はげいとう)
あゝ あの子が生きていたならば


平和の音色、長崎に響け 広島で被爆のピアノで伴奏

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長崎市立山里小学校で演奏される広島の
被爆ピアノ=広島市、矢川光則さん提供


 広島で被爆し、60年を経てよみがえったピアノが14日、長崎市の爆心地に近い市立山里小学校で音色を響かせる。締めくくりの児童たちの合唱で伴奏されるのは「あの子」。長崎で被爆しながらも被爆者救護に力を注いだ故・永井隆博士(1908~51年)が詞を書いた。「あの子が生きていたならば……」という歌詞は、児童1581人のうち約1300人が原爆で命を奪われた同校で、第二校歌として歌い継がれている。ピアノは二つの被爆地を結び、次の世代に「平和」を伝える。

 ピアノは広島市の爆心地から1.8キロの民家で被爆した。放射線と爆風にさらされ、無数のガラス片が突き刺さった。それから60年、鍵盤がたたかれることはなかったが、05年、広島で被爆ピアノを3台復活させていた調律師、矢川光則さん(55)に譲られた。矢川さんの手で生き返ったピアノは、今は各地の平和コンサートを巡るようになった。

 矢川さんは「いずれはもう一つの被爆地の長崎の子どもたちにも聴いてもらいたい」と思い続けてきたが、知人を通してその思いを聞いた山里小同窓会長の開田(ひらきだ)毅さん(65)が同校でのコンサート実行委員会を結成。地域住民や保護者らと準備を進めてきた。

 14日のコンサートでは、「あの子」はベートーベンやラフマニノフの曲の後、最後に歌われる。

 「壁に残った落書の 幼い文字のあの子の名 呼んでひそかに耳すます ああ あの子が生きていたならば」

 卒業から半世紀以上たった今も、開田さんは折に触れて口ずさむ。「被爆後の荒野を思い出させてくれる」。コンサートを、平和の尊さを次世代に伝えるきっかけにしたいと願っている。

 当日は、45年当時に同校に在籍していた同窓生たちも駆けつける。演奏者でピアノ教師の向井静香さん(28)は被爆3世。母方のおばも同校で学んだが、原爆で亡くなった。向井さんは「平和への祈りを込めて弾きたい」と語っている。(朝日新聞)


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