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私のつぶやき [精神世界]

 現在の政治家や権力側に立つ人たちには、偽善者といえるような人が多いように感じてしまいます。 偽善者とは、自分のしていることが正しいと思い込んでいる人たちです。自分の立場からの利害損得が何にもまして最優先で、他人の痛みに思いをいたすことの出来ない人ですね。同じ犯罪を犯した者でも、自分を罪深き者と認識している人は救われようがあるが、自分が正しいと思い込んでいる人は、本人が気づくまでは救われようがないのだと思います。聖書の中でイエス・キリストは、偽善者が救われるのは、駱駝(らくだ)が針の穴を通るより難しいと述べて、偽善者に対しことさら厳しい言葉で指弾されています。

 というようなことを、最近のニュースに接していますと感じてしまいます。気がめいるようなニュースばかりが多くて、ブログに書けるようなこともなくなってしまいました。ですが、せっかく再開したばかりということもありますので何か題材をと探しましたら、先日聖書を通読した際に、感銘を受けたところにチェックマークを付けていたことを思い出しました。それで、その部分を抽出して、私自身が改めて学び直すことにしました。その過程で、なにか感じられることがあったら幸いということで。

聖書の中から、マタイによる福音書5章38~48

 【復讐してはならない】
 あなたもがたも聞いているとおり、『目には目を、歯に歯を』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。  あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着を取らせなさい。だれかが1ミリオン行くように強いるなら、一緒に2ミリオン行きなさい。求める者には与えなさい。あなたから借りようとするものには、背を向けてはならない。

 【敵を愛しなさい】
 「あなた方も聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。徴税人でも、同じことをしているではないか。自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんなに優れたことをしたことになろうか。異邦人でさえ、同じことをしているのではないか。だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。


 「私のつぶやき」
 愛←  →憎しみ
 『悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。』は有名な言葉ですが、外側から見る限り、やられっぱなしでいなさいということになってしまいます。人間には、自己保存本能がありますから、やられっぱなしというのは恐いことではあります。でも、神のレベルから見れば、やられっぱなしはすばらしい行為なのです。けっして卑下する行為ではないということですね。

 大事なことは憎しみの感情をもってはいけないということではないでしょうか。いろんな凶悪犯罪が起きていますが、憎しみ、憎悪にとらわれてしまった結果、自滅してしまったのだと思います。そんなことなら、愛をもってやられっぱなしにしておいたほうが良いということなのです。

 『敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。』 この部分は、神の愛の途方もない大きさを感じさせてくれるところであると思います。神の愛に善人、悪人の区別などないのです。自分をいじめる者を愛し、自分をいじめる者のために祈りなさいと言われます。そこには、憎しみのかけらもありません。自分の愛の小ささを再認識されるばかりでありますが、愛を少しでも膨らませられるよう努力していきたいと思わずにはいられません。

徴税人…当時のユダヤは、ローマ帝国の支配下にありました。その税の徴収を請け負っていた人たちがいたのです。彼らは軽蔑される存在であったようです。
タグ:聖書
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