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私のつぶやき―④と植草さんのブログ紹介 [精神世界]

聖書の中から、ルカによる福音書7章36~50

 【罪深い女を赦す】
 さて、あるファリサイ派の人が、一緒に食事をして欲しいと願ったので、イエスはその家に入って食事の席に着かれた。この町に一人の罪深い女がいた。 イエスがファリサイ派の人の家に入って食事の席に着いておられるのを知り、香油の入った石膏の壺を持って来て、後ろからイエスの足元に近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った。

 イエスを招待したファリサイ派の人はこれを見て、「この人がもし預言者なら、自分に触れている女がだれで、どんな人か分かるはずだ。罪深い女なのに」と思った。そこで、イエスがその人に向って、「シモン、あなたに言いたいことがある」と言われると、シモンは、「先生、おっしゃってください」と言った。

 イエスはお話になった。。「ある金持ちから、二人の人が金を借りていた。一人は五百デナリオン、もう一人は五十デナリオンである。二人には返す金がなかったので、金貸しは二人の借金を帳消しにしてやった。二人のうち、どちらが多く金貸しを愛するだろうか。」 シモンは、「帳消しにしてもらった額の多いほうだと思います」と答えた。

 イエスは、「そのとおりだ」と言われた。そして女のほうを振り向いて、シモンに言われた。「この人を見ないか。わたしがあなたの家に入ったとき、あなたは足を洗う水もくれなかったが、この人は涙で私の足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれた。あなたはわたしに接吻の挨拶もしなかったが、この人はわたしが入って来てから、私の足に接吻をしてやまなかった。あなたは頭にオリーブ油を塗ってくれなかったが、この人は足に香油を塗ってくれた。  だから、いっておく。この人が多くの罪を許されたことは、私に示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。」 

 そして、イエスは女に、「あなたの罪は赦された」と言われた。同席の人たちは、「罪まで赦すこの人は、いったい何ものだろう」と考え始めた。イエスは女に、「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と言われた。


 「私のつぶやき」
 『この人が多くの罪を許されたことは、私に示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。』
 この言葉は、親鸞聖人の「悪人正機説」を思い起こさせます。 親鸞聖人は、「善人なおもて往生す、いわんや悪人おや」と言われました。 やくざとか道をはずしてしまった人のなかにも、つねに罪の意識を感じている人はいるのではないでしょうか? そうした人が改心すれば、赦されることのすくない人よりも大きな愛を示すことができるのだと思います。悪の道でひとかどになった人などは、ひとたび回向すれば、立派な人になれるかもしれないのです。

 人間は、己を罪深い者と認めて、謙虚に悔い改めることが大切なのではないでしょうか。 そのうえで、神仏に感謝していけば、救いがあるのだと思います。

         ◇          ◇

 植草一秀さんのブログ『知られざる真実』の紹介です
   8月12日は、「1600年体制」からの脱却

 植草さんは、『「天下り」を受け入れる独立行政法人、公益法人などに国家の財政資金が年間12.6兆円も注ぎ込まれている。「天下り」官僚の報酬、諸経費、退職金に膨大な国費が投入されている。』 と指摘され、官僚の天下りの不当性を詳細に解説されています。12.6兆円という途方もない額に驚かされますが、官僚の天下りを改革することこそが「真の構造改革」であることがよく分かります。

 また、『官僚機構という公権力が圧倒的な実権を握り、国民がその被支配者であるという構造。国民の側にある自ら従属しようという民としての意識。これらが定着したのは、おそらく江戸時代である。現代の日本の権力構造、そしてその権力構造を支えている精神構造は江戸時代にしっかり定着したものであり、そうした意味で現在の体制は1600年体制と呼んでもよい。』 と述べられていますが、江戸時代から続く精神構造を改革することでもあるわけです。民が主人であり、官僚は民のために尽くす存在に改革せねばなりません。

 今の自公政権は、官僚と持ちつ持たれつの関係になっており、天下り根絶などできるはずがありません。 天下り根絶するには、政権交代しかないのであります。


   植草一秀の『知られざる真実』 1600年体制」からの脱却

タグ:聖書

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