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私のつぶやき―⑤と植草さんのブログ紹介 [精神世界]

聖書の中から ルカによる福音書10章21~37

 【喜びあふれる】
 そのとき、イエスは聖霊によって喜びにあふれて言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。そうです。父よ、これは御心に適うことでした。すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに、子がどういう者であるかを知る者はなく、父がどういう方であるかを知る者は、子と、子が示そうと思う者のほかには、だれもいません。」

 それから、イエスは弟子たちの方を振り向いて、彼らだけに言われた。「あなたがたの見ているものを見る目は幸いだ。言っておくが、多くの預言者たちや王たちは、あなたがたが見ているものを見たかったが、見ることができず、あなたがたが聞いているものを聞きたかったが、聞けなかったのである。」

 【善いサマリア人】
 すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。「先生、何をしたら、永遠の命を受けつぐことができるでしょうか。」 イエスが「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と言われると、彼は答えた。 「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。また、隣人を自分のように愛しなさい』 とあります。」 イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」

 しかし、彼は自分を正当化しようとして、「では、私の隣人とはだれですか」と言った。イエスはお答えになった。「ある人がエルサレムからエリコへ下っていく途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通っていった。同じようにレビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通っていった。ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。そして翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』  さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」 律法専門家は言った。「その人を助けた人です。」 そこで、イエスは言われた。「行ってあなたも同じようにしなさい。」
 

 「私のつぶやき」
 聖書をよく読んでも理解できないところは多いですが、素直に読んで感動したところを学ぶという姿勢に徹したいと思っております。

 イエスは聖霊によって喜びにあふれて、「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。」と述べられています。神のおめがねにかなうのは、知恵ある者や賢い者ではなくて、幼子のような者であるようです。何か救われるような感情がわいてきて、純粋な部分を大事にしていきたいなと改めて思いました。

 後段で、イエスは、「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。また、隣人を自分のように愛しなさい』 という律法を実行しなさい。そうすれば永遠の命が得られる。」と述べられています。 すべてはこの言葉で尽きているように思われます。

 「あなたの神である主を愛しなさい」とは、常に見つめ、守っていてくださる自分の神を、思いを尽くして愛しなさいということですから、納得できると思います。 そして同時に、隣人を自分と同じように愛していけば、永遠の命が得られると言われます。ある葬式の礼状に、「わたしの信じる者は死なない」というイエスの言葉が載っていたのを思い出します。神の世界では、生命は永遠なもののようです。

  ◇  ◇

植草一秀さんのブログ『知られざる真実』の紹介です
 8月17日は 民主党副代表岡田克也氏に問う

 植草さんは、《民主党の岡田克也元代表が『文藝春秋2008年9月号』に「小沢さんと私は違う」と題する文章を発表した。表題小見出しには「「一度裏切った人間は二度裏切る」ことを私は学んだ」と記されている。

 民主党内で活発な論争が展開されることは望ましいことだが、総選挙を目前に控えたこの時期に、党代表批判とも受け取れる文章を一般誌に発表する岡田氏の見識が疑われる。》と述べて、この時期に、小沢一郎氏との違いを強調されることに強い疑問を呈しておられます。

 さらに、《岡田氏が「裏切り」と表現するものが具体的に何を指すのかが問題になるが、文章前段に「裏切り」についてのエピーソードが伏線のように記されている。

 「政治改革関連法案についての与野党合意が成立し、小選挙区制導入が決まった夜、美味しそうにビールを飲み干した(小沢氏の)姿、突如、新進党の解党を決めたため、「これは有権者への裏切りです」と食ってかかる私に見せた(小沢氏の)憮然とした表情など、今も脳裏に深く刻み込まれています。」(括弧内は筆者補注)

 岡田氏の文章で政治家の「裏切り」が表現される箇所はこの部分以外には1箇所しかない。小沢代表が昨年提示した自民党との大連立について、岡田氏が「有権者への裏切りに他ならない」と記述した部分である。》と岡田氏が裏切られたと感じた具体例を指摘されました。

 岡田克也氏は、小沢一郎氏をまったく信頼していないことが明らかになりました。しかし、私も小沢氏を信頼しているわけではありませんので、岡田氏の心情はよく理解できるのです。

 小沢氏は、自民党時代、訪米した時に、国益に反する言動があったように思いますし、本質的には対米従属ではないか? 新進党の時代も、独善的であり、独裁的であったように見えました。

 しかし、近頃では、昭和天皇が、靖国神社A級戦犯合祀に反対であったことを記したメモが発見された時、これは、「大御心だ」と言われたり、民のかまどに煙が立つようにしなければと言ったりしています。前回の党首選の演説では、「自ら変わらねば」と言っていました。結構自民党の政治家よりましなことも言っているわけです。

 ですから、まわりで国民の方に目を向けさせるように、裏切らないように小沢氏を仕向けていけばよいのではないでしょうか?

 岡田氏にしても、イオングループオーナー一族、通産官僚の出身です。第二自民党を目指しているのではないかという疑念は消えません。

 いずれにいたしましても、疑念を指摘しあうよりは、いまは大きな視点に立って、政権交代を目指さなければならないのです。小沢一郎氏に対する疑念は、政権交代した後の行動で判断すべきだと思います。今この時点で、小沢氏への疑念を持ち出すことは、自公政権を利するだけになってしまうかもしれないないのですから。


   植草一秀さんのブログ『知られざる真実』 民主党副代表岡田克也氏に問う
タグ:聖書
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