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私のつぶやき―⑦ [精神世界]

聖書の中から ルカによる福音書17章20~37 21章7~11 25~28

 【神の国が来る】
 ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた、「神の国は、見られる形で来るものではない。 『ここにある』 『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ」。 それから、イエスは弟子たちに言われた、「あなたがたが、人の子の日を一日でも見たいと望む時が来る。しかし、見ることはできないだろう。 『見よ、あそこだ』『見よ、ここだ』と人々は言うだろうが、出て行ってはならない。また、その人の後を追いかけてもいけない。 稲妻がひらめいて、大空の端から端へと輝くように、人の子もその日に現れるからである。 しかし、人の子はまず必ず、多くの苦しみを受け、今の時代の人々たちから排斥されることになっている。 ノアの時にあったようなことが、人の子が現れるときにも起こるだろう。 ノアが箱船に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていたが、洪水が襲って来て、一人残らず滅ぼしてしまった。  ロトの時代にも同じようなことが起こった。人々は食べたり飲んだり、買ったり売ったり、植えたり建てたりしていたが、 ロトがソドムから出て行ったその日に、火と硫黄が天から降ってきて、一人残らず滅ぼしてしまった。人の子が現れる日に、同じことが起こる。 その日には、屋上にいる者は、家の中に家財道具があっても、それを取り出そうとして下に降りてはならない。畑にいる者も帰ってはならない。 ロトの妻のことを思い出しなさい。 自分の命を生かそうと努める者は、それを失い、それを失う者は、かえって保つのである。  言っておくが、その夜一つの寝室に二人の男が寝ていれば、一人は連れて行かれ、他の一人は残される。 二人の女が一緒に臼をひいていれば、一人は連れて行かれ、他の一人は残される。」 そこで弟子たちが、「主よ、それはどこで起きるのですか」と言った。。イエスは言われた、「死体のある所には、はげ鷹も集まるものだ。」

 【終末の徴(しるし)】
 そこで、彼らはイエスに尋ねた。「先生、では、そのことはいつ起こるのですか。また、そのことが起こるときには、どんな徴があるのですか。」 イエスが言われた、「惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』とか、『時が近づいた』とか言うが、ついて行ってはならない。 戦争とか暴動のことを聞いても、おびえてはならない。こうしたことがまず起こるに決まっているが、世の終わりはすぐにはこないからである。」  そして更に、こう言われた。「民は民に、国は国に敵対して立ち上がる。 そして、大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい現象や著しい徴が天に現れる。」

 【人の子が来る】
 それから、太陽と月と星に徴が現れる。地上では、海がどよめき荒れ狂うので、諸国の民は、なすすべを知らず、不安に陥る。 人々はこの世界に何が起るのかとおびえ、恐ろしさのあまり気を失うだろう。天体が揺り動かされるからである。 そのとき、人の子が大いなる力と栄光とを帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。 このような事が起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなたの解放の時が近いからだ。」


 「私のつぶやき」
 ニ千年前の人々も神の国(地上天国)を渇望していたことに感動させられます。イエスは答えられました、「神の国は、見られる形で来るものではない。 『ここにある』 『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ」。

 私たちの心の中に、神の国(地上天国)は在るのではないでしょうか? そうだとすれば、神の国(地上天国)を出現させるためには、一人残らず、全ての人が外ではなく、内なる心に神の国を求め続ける必要があるのだと思います。

 その後は、imaginationの世界になりますが、「人の子が現れる」とは、イエスの再臨のことを意味しているのでしょうか? 「人の子が現れるとき」に、人類のカルマの清算が起こるようです。 その時は、人々が、食べたり飲んだり、相変わらず私服を肥やすことに一生懸命な時に、突然やってくるのです。 イエスは、「自分の命を生かそうと努める者は、それを失い、それを失う者は、かえって保つのである。」と言われます。 そのときがやってきた時、「無私の心境」でいなさいと、イエスは諭されているように思われます。

 聖書には予言がちりばめられています。終末は必ずあるとイエスは断言しているように見えます。天体が揺り動かされるような状態となって、人々がダメだとあきらめかけたとき、解放の時がやってくるのです。 最後の最後に救いはあるのだと思います。 もし、終末現象があるとすれば、それはいつ来るのでしょうか? 近いのか、それとも遠いのか、それは神のみぞ知るということになるのでしょうか?

 ロトについて
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%88_(%E8%81%96%E6%9B%B8)
タグ:聖書
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マケイン氏の「CHANGE」発言に思う [時事問題]

 米共和党大統領候補に指名されたマケイン上院議員(72)は4日、党大会最終日の指名受諾演説で「変革の時が来た」と旧来型政治の打破を呼び掛け、国民の信頼を回復すると表明した。

 テレビのニュースを見ていたら、マケイン氏が「CHANGE(変革)」と叫んでいる映像が流されていました。マケイン氏がCHANGEと発言する姿を見ているうちに、偽装の匂いを感じてしまいました。 CHANGEは民主党大統領候補のオバマ氏のパクリですし、小泉元首相の「偽装改革」を連想させたからです。

 小泉元首相は、官僚支配を温存したままの「偽装構造改革」によって国民を欺きましたが、マケイン氏も軍産共同体などの支配層を温存した偽装改革を仕掛けるのではないかとimaginationを働かせてしまいました。 マケイン氏が大統領に当選すれば、ブッシュ政権のイラク戦争の責任をあいまいにしたまま、アフガン戦争に突入するという最悪の事態も想定しなければならないでしょう。 日本国民は、小泉偽装改革によって奈落の底に突き落とされましたが、マケイン氏のCHANGEが、アメリカ国民をボロボロにしないか心配になります。マケイン氏は、当選するためなら、あらゆる戦略を行使するしたたかな人物のようです。マケイン氏が当選する確率は高まっているように感じるのです。

 保守の対立概念は、革新(CHANGE)であると思います。政権を担当してきた保守主義者たちが、行き詰まりをきたしたとたん、「CHANGEだ改革だ」と対立概念を叫ぶのは自らの延命を図るためのごまかしすぎないことは明らかです。保守主義への回帰を言うのなら分かりますが、彼らが「CHANGEだ改革だ」と叫んだ途端、彼らの保守主義のアイデンティティーは、既に喪失してしまっているといえるでしょう。今の自民党は、根なし草の幽霊のような存在になっているのだと思います。

 小泉元首相は、「改革なくして、景気回復なし」と確か言ったと思います、安倍前首相は、「改革か、それとも後退か」と言いました。自民党が、革新政党になったかのごとき偽装を施し、国民を欺きました。その結果は、セーフティネット破壊による弱い者いじめであり、アメリカに貢ぐものでしかありませんでした。結局、国民の偽装改革に対する怒りが充満することとなりました。

 今度は、ハト派の福田首相が登場して、「国民目線」とか言い出して、国民をなだめすかして国民の怒りを静めることに躍起となりました。改革などふっ飛んでしまい、規制緩和から規制強化に急に舵を切りましたが、またまた建設業界などで矛盾が噴出しています。小泉、安倍時代の「改革」とはいたい何だったのでしょうか? 国民を目くらますための方便として利用しただけでななかったのかという疑念が膨らむばかりです。

 こうして見ると、日本丸は、独自の航海図を持たない自公与党のために、ただ右往左往して漂流しているだけなのは明らかです。彼らがいま眼中に在るのは、船を守ることではなく、船長という権力を守ることだけなのです。権力を守ることが自己目的化してしまった自公与党は、政権担当能力を既に喪失してしまっていると言わざるを得ません。

 国民はいい加減目覚めなければだめだと思います。テレビ、新聞などの「マスゴミ」ははっきり言って信用できません。「マスゴミ」に頼らず、国民自らで考え、判断できるようにならなければダメなのです。きたる衆議院選挙で自民党が勝つようなことがあれば、憲法改正して、自衛隊が地球上どこへでも行くことを厭わない安倍晋三氏の狂気の「親米保守の道」へ回帰することになるでしょう。

 マケイン氏のCHANGE発言は、自己矛盾への道なのです。保守主義者が、CHANGEと言ったとたん保守ではなくなってしまうのだと思います。マケイン発言を聞いて、そのことを日本国民は、「小泉偽装改革」で十分すぎるほど学習してきたという想念が浮かんできたのでした。

 保守主義者の言う「改革」、「CHANGE」はごまかしです、自身の延命工作にすぎません。だまされないようにいたしましょう。
 

マケイン氏が指名受諾演説 「変革の時」を訴え(東京新聞)

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マケイン上院議員の大統領候補指名受諾演説を待つ米共和
党大会


 【セントポール(米ミネソタ州)4日共同】米共和党大統領候補に指名されたマケイン上院議員(72)は4日、党大会最終日の指名受諾演説で「変革の時が来た」と旧来型政治の打破を呼び掛け、国民の信頼を回復すると表明。民主党候補のオバマ上院議員(47)との実績の差を前面に出し「この選挙に勝利する」と宣言、共和党政権を死守する決意を示した。

 党大会は同日閉幕。マケイン氏は副大統領候補のペイリン・アラスカ州知事(44)とともに、支持率低迷にあえぐブッシュ政権とは一線を画す新たな共和党政権の構築を掲げて、11月4日の投票日に向け選挙戦本番に突入する。

 マケイン氏は演説で「浪費するばかりで何もせず、自己中心的で国のことを後回しにする旧来型のワシントンの連中」によって、米国に対する国内外の信頼が失われたと指摘。「政府のやり方をがらりと変えなければならない」と強調し、ワシントン政治の根本的な変革に向け「わたしと一緒に戦おう」と訴えた。

 さらに、ベトナム戦争での過酷な捕虜生活を通じ、心身両面に深い傷を負いながらも強い愛国心を抱いたと表明。「わたしには実績と、それを証明する傷あともある。オバマ氏にはそれがない」と述べ、国家の指導者を実績で判断すべきだと呼び掛けた。
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首相辞任会見「あなたとは違うんです」 [ニュース]

投げ出し・福田の“本性”を暴いた記者の“正体”(ニュース記事)

 「他人顔」とも揶揄された福田康夫首相を、辞任会見の最後の質問で切り崩した地方紙記者に注目が集まっている。首相は激怒したものの、官邸記者特有の“間合い”にとらわれない乾坤一擲(けんこんいってき)の質問は、首相の“素”の部分を引き出した。

 「『ひとごとのように』とあなたはおっしゃったけどね、私は自分自身のことは客観的に見ることができるんです。あなたとは違うんです!」。福田首相は1日の辞任会見の終了間際、国民注視の生中継ということも忘れて気色ばんだ。

 この答えを引き出したのは、広島県の「中国新聞」の男性記者(37)が質問した「総理の会見が国民にはひとごとのように聞こえる」という言葉だった。(ねたリカ)


 9月1日の福田首相の辞任会見で最後にした記者の質問が、今ネットで話題になっているようです。 その記者は、「総理の会見が国民には人ごとのように聞こえる」と切り込んだのでした。 国民だれもが福田首相に抱いている感情を代弁する質問でありました。

 福田首相に他人事という印象を抱いてしまうのは、「当事者意識が希薄である」 「熱意が感じらえない」 「相手の立場を思いやることが少ない」 「国民目線が感じられない」といったところから来るのだと思います。 これに対して、福田首相の答えは、『私は自分自身のことは客観的に見ることができるんです。あなたとは違うんです!』という答弁でした。

 記者は、「もう少し国民生活のことを真剣に熱意を持って考えてほしい」という意味を込めた質問であったと思うのです。それに対して、『私は自分自身のことは客観的に見ることができるんです』では答えになっていないと思うのですが?

 このとっさの答弁は、福田首相がいかに自分のことしか考えない人、自己中心的な人であるかをさらけ出しているといえるのかもしれません。 いつも冷静に自分の損得を判断しているのだということなのでしょう。

 『あなたとは違うんです!』 という物言いも、あなたは自分自身を客観的に見ることはできないといっているようなもので失礼な発言になっています。福田首相の「上からの目線」といわれるもので、傲慢さが出てしまったのだと思います。

 この中国新聞の記者のアドリブ的な乾坤一擲の質問で、福田首相は思わず地をさらしてしまったのだと思います。 福田首相の「他人事発言」「上からの目線」は、絶対に直らない類のものであることがよくわかりました。 本人がまるっきり自覚できないのですから。



首相辞任会見「あなたとは違うんです」


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福田首相、「安倍氏とは違う」気色ばみ反論 [ニュース]

福田首相の無責任な辞任

 9月1日夕刻、福田首相が、突然辞任表明いたしました。
 どうも最近覇気がないように感じていましたが、公明、麻生ラインに手足を縛られて、福田首相の指導力が消滅してしまっていたからなのでしょう。 この光景は、安倍前首相が、政権投げだし辞任したときのリプレイを見せられているようです。(あの時は、麻生、与謝野ラインでした)

 福田首相は、『安倍前首相と私は違う』と強調されたようです。『私は、病気ではないし、先を見通せるのだ』というようなことを少し怒気を込めて語ったとか? 福田首相は、確かに健康のようにお見受けします。ということは、安倍前首相の時よりまだ余裕があるということになります。 それに、先を見通して、早めに辞めるという判断も、ただ単にいいカッコをしているだけではないでしょうか? 安倍首相は、ある意味ボロボロになるまでやったといえるでしょうが、福田首相は、アメリカに対し早めに逃亡をはかったもので、よりたちが悪いようにも思います。

 福田首相に、日本という国を背負って立つという自覚があったのでしょうか? 国民の生活を少しでも良くしようという湧き出る熱意があったのでしょうか? 福田首相の他人事発言を聞かされますと、自分に箔を付けるために首相になったのではないかというimaginationが、どうしても浮かんできてしまうのです。必死さが少しも伝わってこないのです。 責任感がないから、このタイミングで、余裕をもって辞任することができたのではないでしょうか?

 公明党は、矢野絢也元公明党委員長問題で、池田大作創価学会名誉会長の手勢であるという本性を前面に出してきているように見えます。従米主義の自民党とは、意見の対立する場面が増えてきました。連立を維持すること自体が難しくなっているのではないでしょうか? このまま連立を維持していては、自民党が公明党に指導権を奪われてしまうような最悪な事態が想定されるに至っています。

 自民党の従米一辺倒路線は、既に破綻に貧しているのではないでしょうか? もうこれ以上の悪あがきはやめて、大政奉還すべき時節が自民党にはやって来ているのだと思います。次期首相には、勝海舟のような役割が果たせる無私なる人物がなるべきであるように思われます。



首相退陣表明:「安倍氏とは違う」気色ばみ反論(毎日新聞)

 「安倍(晋三)前総理のケースとは違う。安部前総理は健康の問題があった。私は特別な問題はない」
 福田康夫首相は退陣を表明した1日夜の緊急記者会見で、2代続けて首相が政権を投げ出すことへの見解を問われ、反論した。
 しかし、政権維持のための内閣改造を試みてから約1カ月後。閣僚の不祥事が発覚し、辞任に追い込まれたのも安倍氏と見事に相似形をなした。

 会見の冒頭、首相は「政治資金、年金記録、C型肝炎、防衛省の不祥事など次から次へと積年の問題が顕在化して、その処理に忙殺された」とボヤキから入る。「民主党が重要案件の対応に応じず、審議引き延ばしや審議拒否を行った。何を決めるにも時間がかかった」とも。

 道路特定財源の一般財源化などを挙げつつ「目立たなかったかもしれないが、これまで誰も手を付けなかった国民目線での改革に着手した」と政権の成果は強調。一方で「重要案件については何とかしたいと意欲を持っていたが、いろいろな政治の状況がある。臨時国会が少しでも順調にいくようにと考え、私自身でやるよりも他の方にやっていただいた方が……」と嘆いた。

 退陣に伴う政治の停滞などに対するおわびも一切なく、淡々と事実経過を説明。記者団からは「会見は人ごとのように見える」との質問が出たが、最後には「私は自分自身を客観的に見ることができる」と少しだけ気色ばんだ。

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