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続、孤独の岸辺 引きこもり問題 [社会問題]

孤独の岸辺(毎日新聞) 

 ◇ガラス戸一枚の壁

 宮崎県延岡市。長屋の玄関を上がると、がらんとした6畳間で、うぐいす色のカーディガン姿の母の遺影がほほ笑む。この奥の3畳間に、息子(39)は25年間引きこもってきた。

 生後まもなく父は病死。スーパーの総菜調理場で土日も休まず働いた母は定年後、1日の大半を6畳間でテレビを見て過ごした。母は息子のことを、誰にも相談できなかった。息子は母に、焦りや不安を打ち明けられなかった。二人はガラス戸1枚隔てたそれぞれの部屋で、沈黙を続けた。

 8月、母が腎不全で入院した。息子が手を握ると、母は「私に勇気がなかったもんね」と告白した。「ごめんね」と謝ると、「そんなこと言わんでいい」。顔を背けた。9月、77歳で息を引き取った。

 母の告白が息子の背を押した。支援団体に救いを求め、役所に生活保護を申請した。
(以上引用終わり)


 延岡のケースはこれだけの短い記述ですが、インパクトのある内容なのではないでしょうか? 人生について、深く考えさせるものがあるように思ったのです。

 母親は息子に何もいえず、息子も母親にうちあけられずにひとり悩んで、ガラス戸一枚隔てて、25年間、別々の世界を生きてきてしまったのだと思います。

 母親は、病院のベットの上で、「勇気がなかったもんね」と告白しました。母は、息子のことをずっと思っていたのだと思います。息子への愛情はあったのです。でも、ガラス一枚の壁が破れず、息子へ伝えられずに、日々の生活の苦労に流されてしまったのではないでしょうか? 定年後、テレビを見るしかなかった母親の悔恨の情は、いかばかりであったでしょう。

 「私に勇気がなかったもんね」
 
 息子さんも、母親が、「勇気がなかったもんね」言ったとき、「ごめんね」と素直にあやまっています。息子さんも、母にすまないという思い、母への愛があったのです。でも、ガラス一枚の壁にさえぎられて、母が病気になるまで伝えることができませんでした。

 ガラス一枚の壁は、心の壁ともいえるのではないでしょうか? 人は、悩みでも何でも、どうしても自分のことばかり考えてしまいがちです。そればかりだと、知らないうちに心の壁をつくってしまっているのだと思います。

 人は、愛と勇気を持って、他人(ひと)と関わることを心がけて、心の壁をつくらないようにしていく必要があるのではないでしょうか。

 いまの世相は、人間関係が希薄になって、人々の感情の起伏が乏しくなっているように感じます。人生において、感情を豊かに保つということは、大切なことなのだと思います。他人(ひと)に、愛と勇気をもって、関わって生きていかねばと心から思ったのでした。

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