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私のつぶやき―② [精神世界]

聖書の中から、ルカの福音書6章37、38、41,42

 【人を裁くな】
 人を裁くな。そうすれば、あなた方も裁かれることがない。人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。赦(ゆる)しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。押入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量(はか)りをよくして、ふところに入れてもらえる。あなた方は自分の量る秤(はかり)で量り返されるからである。

 あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、何故自分の目の中の丸太に気づかないのか。自分の目にある丸太をみないで、兄弟に向かって、「さあ、あなたの目にあるおが屑を取らせてください」と、どうして言えるのだろうか。偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすればはっきり見えるようになって、兄弟の目にあるおが屑を取り除くことができる。


 「私のつぶやき」
 人は、憎しみ、怒りの感情などが湧き上がるとどうしても他人を批難してしまいます。相手も批難されれば、いい感情は持ちませんから、人間関係がうまくいかなくなってしまいます。イエス・キリストは、「人を裁くな。赦しなさい。与えなさい。」と言われました。これが人としての真実のこころの在り方であるとお示しになられたのです。人間関係を良くするためには、人を裁かないことが究極の方法なのだと思います。

 「いっさい人を裁かない。人を赦す。」を前提にして生活していくことは難しいことではありますが、高い山を登る登山家のように頂上を目指して、あきらめずに一歩一歩前進していけたらと思っています。

 後段で「何故自分の目の中の丸太に気づかないのか」言われておりますが、自分の目の中の丸太とは、心の歪みの象徴ではないでしょうか。心が歪んでいるかぎり見えないのだと思います。それに反して、他人の歪みはよく見えるので、つい批判して、気づかないうちに偽善者になってしまっているのです。

 美輪明宏さんが、スポーツニッポンに「明るい明日を」をというコラムを毎週日曜日に寄せています。27日は、「今の東京に五輪は不要」と題して石原都知事のことを書いているのですが、一部引用させていただきます。

 『…石原都知事は愚かです。皇太子さまに五輪招致の協力を要請し利用しようとして宮内庁に難色を示されると、宮内庁を「木っ端役人」呼ばわりしました。これにはあきれ返りました。知事というのは都民の税金で食べさせてもらっている役人ではないのでしょうか。知事も公僕、都民のしもべのはずです。それなのに自分はお偉い独裁者にでもなった気でいるのでしょうか。役人が同じ役人を「木っ端役人」呼ばわりするのは天につばをする行為です。石原知事は吐いたつばが同じ木っ端役人の自分に降りかかっているのが分からない差別主義の愚か者なのです。…』

 美輪さんの言われていることは、正論であると思います。石原知事は、自分の目の中の丸太がまるっきり見えていないのです。自分は正しいと思い込んでいる、偽善者の典型といったら言いすぎになるでしょうか。
タグ:聖書
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