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熟年離婚を考える [社会問題]

 先日テレビで、熟年離婚について、三つのケースを取材して報道していました。第一のケースは、あと一年で定年を迎える夫を持つ主婦が登場します。夫は普段はほとんど家にはいないのだそうです。日常会話もない夫婦が定年後、お互いいっしょに住めるわけはありません。主婦は離婚を考え、社会保険事務所に行って年金を分割した場合いくらもらえるか調べに行きます。すると、65歳で10万円しかもらえないと分かります。とてもアパートを借りて生活していける金額ではありません。主婦は、若い時にもっと働いて貯えておけばよかったと悔いていましたが、家庭内別居をこのまま続けていく決心をせざるをえないのでした。

 次のケースは、熟年離婚を回避した主婦が登場します。この主婦は、夫が定年を迎えるにあたって、かねてからの計画を実行しました。1200万円かけて自宅を改築して夫と主婦の生活空間を別々にしたのです。もちろん主婦の方が広い部屋を確保して。一緒になるのは、食事の時だけだそうです。主婦としては、夫が単身赴任などでいないときが多かったので、自分だけの生活空間をつくりあげてしまったのです。それを夫がいることで壊されるのがいやなのでした。主婦にとって、熟年離婚を避けるには、この方法しかなかったのでしょう。

 三番目のケースも、熟年離婚を回避したのですが、定年の際に家を新築してまったのです。二階の部屋は4部屋あるのですが、主婦がさん3部屋を独占して、夫は狭い一部屋だけなのです。しかも、主婦の寝室には鍵をとりつけてあるのですが、朝寝坊しても起こされないように、夫が自分で食事も作るでしょうからというようなことを話していました。一階ではお友達と過ごす部屋をより快適に改造したいという計画もあるのだそうです。これでは夫は、邪険にされているペット並みにおとしめられてしまったということになるのでしょうか?

 こうしてみると、熟年夫婦の夫婦関係は破綻してしまって、打算だけで一緒にいる抜け殻のような家庭になってしまっているケースが多いのはないでしょうか。夫は、仕事に縛られて家庭を顧みる余裕はありませんし、主婦は自分中心的な生活を送ってしまい、自分のことしか考えられなくなってしまっているのです。寒々とした風景があるだけです。

 なぜこんなことになってしまったのでしょうか。わたしは、戦後入ってきた西洋の個人主義が行き過ぎてしまって、権利ばかりを主張するようになってしまったことが影響しているように思うのです。自分のことばかり主張していれば、人権関係を構築することはできません。人間関係を構築していくには、相手への思いやりとか和の精神がなければなりません。これらは純粋な日本の文化でありましたが、破壊されてしまったようです。西洋の個人主義、個人の権利を強調し過ぎた戦後教育は、人間同士のきずなをなくし、人々を孤立させてしまったのではないでしょうか?

 人間は、相手のことを思って、相手のために何かをしてあげることが大切なのではないでしょうか? してもらった相手が喜ぶ姿を見ることが生きがいをもたらことにもなるのだと思います。夫や妻がお互いがお互いを思いやり、自分のことを差し置いて相手がしてほしいことをしてあげられるように価値観を転換する必要があります。(自らの反省をこめてですが、難しいことではあります) それが新たな人間関係を作ってゆく、夫婦の関係を再構築していくことにつながるのではないかと思うのです。

 日本は、昔大和の国といいました。その昔から思いやりや和の精神という文化があったのです。それをもう一度取り戻さなければなりません。それができなければ、日本の社会は滅びの道を進むことになってしまうのかもしれません。


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ありす

日本のあるべき姿の考え方には私も似た感想を持っています。
ただし、印象主義的な感想です。
西洋史を勉強している身なので、私は日本を国内ではなく海外から眺めることに慣れています。
その立場から申し上げれば、幕末の日本は西洋から見ても尊敬に値する国でした。
明治維新後の日本は西洋の文明を吸収しながら自身の文化を残し、その二つを上手く調和させて成長したように感じます。
後者に関して、歴史の謎の一つと書いていた本も拝見したことがあります。

西洋の個人主義は悪いと批判される程のものでもありませんが、日本の文化には合っていないと思います。
この国の国民は自分を否定されるのが苦手であり、それ故極端に思想や自分を取り巻く環境を解釈する傾向が強いです。

『個人主義』というのは『利己主義』とは違います。
前者は個人を尊重することであり、他者への思い遣りを含みます。しかし、後者は自分中心主義に近いものです。
アメリカ人はこういう似たものの相違点を議論するのが好きですが、日本人はもう少し融通が利く民族なのでこういう区別議論を好みません。
その結果、上記に上げた日本人の特徴と協力して、個人主義は利己主義に変貌したものと思います。

この危険性を考えて教育をしないで、この違いを曖昧に放置した結果利己主義が蔓延したのではと私は思います。
特に、戦後、公共の利益に対する無関心は顕著だと私は感じます。
この点は、この前好き嫌いは国民の国政判断に直接結びつくと考えている人間でしかも社会人と思える人物が私のコメント欄に現れた時にサンプルが一つ取れました。
by ありす (2008-01-27 20:59) 

ofil425

コメントありがとうございます。西洋史を勉強されて、客観的に日本を見る眼を養われたことはすばらしいと思います。
戦後しばらくは、個人主義と利己主義の違いを意識していたのではないかと思っているのですが、最近では利己主義の範疇を逸脱しているのではという出来事が頻発しておりますので、利己主義という言葉をあまり使っていなかったような気がします。
個人主義と利己主義の違いが曖昧で、利己主義に変貌してしまったというのはその通りだと思います。
日本の文化というと保守主主義、右翼の範疇に入りやすいですが、彼らは日本的なるものを歪めているような気がします。右、左とか保守、革新というよな対立でなく、統合するような考えかたを求めていくべきではないかと感じています。
by ofil425 (2008-01-27 23:15) 

kobakoba

私も熟年夫婦の1組ですが 夫婦というか 男女の問題は難しいですネ 熟年を迎えても相思相愛の夫婦というのは稀のような気がします 原因は ”種の保存” の役割を終えてしまった後のお互いの生き方の問題ではないかと思います 私の場合は かろうじて”一緒に居る” 状態ですね
by kobakoba (2008-01-28 08:41) 

ofil425

kobakobaさんコメントありがとうございます。そうですね、私などは壊れてしまいましたが、生き方を間違えたのではないかという思いが強いです。世の常識というものにも、真実とは違ってしまっているものがあるのですね? 世の中の仕組みが自己中心になっていますので、それからはずれると生活が成り立たなくなってしまうというのが現実なのだと思います。
日本の社会は、これからますます乱れて、いくところまでいってしまう可能性が高いのでしょう。流れにさおさしてもどうにもならないですよね。
by ofil425 (2008-01-28 12:53) 

デンジャラズゾーン

私も
1人の
人間であるならば
自分のことばかり
考えるのではなく
相手の立場や気持ちなって
思いやりの心を持って
大切にしなければ
いけないと思います

今こういう
当たり前のことが
置き去りと言うか
忘れられていると言う感じがしますね
by デンジャラズゾーン (2008-01-29 17:38) 

ofil425

邯鄲さんコメントありがとう。
人から愛されたかったら、人を愛さなければならないのですね。
一方的に愛されることにはそんなに価値がない、人を愛することに価値があるのだと本当に分かるまでずいぶん遠回りしてしまいました。
by ofil425 (2008-01-29 20:20) 

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