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「すべり台社会」の日本 [社会問題]

 4月16日の毎日新聞夕刊に、経済アナリストの森永卓郎さんが、湯浅誠著「反貧困」(岩波新書)という本を紹介する一文を寄せていました。読んでみると、森永さんは弱者の視点から鋭く日本の現状を観察しておられ共感するところが多々ありました。以下引用させていただきます。

 晴れても降っても    森永卓郎

 「すべり台社会の現実」

 自己責任という言葉は、実に便利な言葉だ。不平等社会の仕組みを作ることで勝ち組に君臨する人たちにとっては、自分の地位を正当化するために役立つし、普通の人にとっても、自分の周りに頻出するようになった生活困窮者から目を背けることの口実になるからだ。しかし、湯浅誠著「反貧困」(岩波新書)に描かれている現代の貧困者たちの肖像は、およそ自己責任とはかけ離れている。能力もあり、一生懸命努力している普通の人が、ちょっとした不幸のをきっかけに、住む家もない、食事もまともにとれない貧困へと転落している。

 湯浅氏は今の日本社会を「すべり台社会」と評した。ちょっとしたきっかけで、すべり落ちてしまい、一度落ちると這い上がることは容易ではない。戦後、奇蹟の経済復興を成し遂げ、世界の一流国家になったはずの日本に、貧困の落とし穴が無数に待ち受けているのだ。

 そもそも、なぜわれわれは社会を作ったのか。それは、お互いを助け合うためだったはずだ。それが、不幸な人を見捨て、カネが支配する社会システムに「構造改革」されてしまった。それだけではない。もっと大きな不幸は、困った人を助けようという優しさを、経済強者たちが持っていないということだ。私は6年間、クリスマスイブになると、ラジオのチャリティ募金で街頭に立ってきた。その経験を通じて、身なりが立派な金持ちから募金を受けたことは一度もなかった。募金してくれるのは、例えば、油まみれになったつなぎを着て、ついさっきまで自動車整備をしていた若者だ。そうした優しさをかけらも持たない人が、金の力で社会の支配者になっている。

 資本主義社会だから仕方がないと人は言う。現実はそうかもしれない。しかし、少なくともそうした金持ちに媚びたり、憧れたり、真似をしようとしたりしては、けっしてならないと思う。彼らは社会をリードする人に見えるが、実は社会の破壊者だからだ。(毎日新聞)

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  森永卓郎氏

 「自己責任」という言葉を他者に使うと、弱者へ手を差しのべる愛の心を破壊してしまいます。愛とは対極にある、他人を責める言葉になってしまうのです。 「自己責任」という言葉は、他者に使ってはいけない言葉なのではないでしょうか。 森永さんが言うように、不平等な社会の仕組みをつくることで勝ち組に君臨する人たちにとっては、自己責任という言葉は自分の地位を正当化するために都合のよい言葉なのです。

 森永さんは、金持ちから募金してもらったことは一度もなかった、彼らは社会をリードする人のように見えるが、実は社会の破壊者なのだと述べていますが、鋭い指摘だと思います。 とくに小泉政権以後、自公政党の政治家たち、霞ヶ関の高級官僚たち、これらにまとわりつく財界人たちは、マスメディアを抱き込んで権力構造を構成し、強者である二割の富裕層を守り、弱者である庶民から搾取して、日本社会の破壊者に堕してしまっているといえるのではないでしょうか?





追 伸

マスメディアによる情報操作が疑われる現況下においては、日々のニュースと距離をおいた方がよいのではないかという思いが強くなってきました。その方が精神的によいように感じますので、当ブログは当分の間休止ということにさせていただきます。
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